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就活で迫り来る不安や落胆を解決する心の支えをどのように求めるのか [気づきなど]

多くのみなさんの大きなご協力のおかげで、現在人気ブログランキング・就職部門でベスト3に定着している( http://blog.with2.net/link.php?803911 )。年末に向けてアクセス数が順調に(笑)減っているが、こうして今日!読んでくれている人に感謝している。

このブログは決してブログランキングで上位になることを目標としているのではなく、みなさんとともに、共感・共有できる仲間を増やすことが目的だ。書籍の執筆の都合で、このブログがいつまで続くかわからないが、今日も&今日こそ、みなさんにクリックしていただけれるように心を尽くしたい。

さて、今日は評価シリーズを外して、これからどんどん迫り来る不安、疑問、落胆などとどう向き合っていくべきかについて考えたい。と言っても…私の心の支えの話が中心なのだが…。

2004年の今日12月27日に、父が帰天した。心筋梗塞の発作で二度の心臓バイパス手術をして元気にしていたが、手術の負担が大きかったのか肺の難病を患って天に召された。銀行マンだった父親は、小さい頃からとても厳しかった。いや、厳しいと思い込ます光線を発していたというべきか。私が物心ついたときの父は、平日はほとんど威厳を放ちながら何も話さず、休日の朝に遅く起きて来て学校のことやクラブ活動などのことを話す程度だった。父のテレビタイムである囲碁・将棋が始まる時間までの1時間ぐらいに食パンを食べながら話しているシーンが頭に浮かぶ。でもどこかに恐さがあって、話す言葉を選んだり、内容によっては話さなかったり、時にはゴルフが好きだった父のためによくわからないゴルフの話をすることもあった。どこかとても緊張していたような気がする。

社会人になってからは私が大阪から東京に出たこともあり、たまに帰省した時に少し話す程度だった。その頃は父もまだ働いていたので、社会人の先輩としてとても敵(カナ)わないところがあった。社会人などの考え方について聞いてほしいことも多々あったと思うが、どこか自分の考え方がしっかりとしていないような思い込みがあり、こちらからはあまり相談しなかった。ただ、私がどんな仕事をしているのか、国際開発のコンサルティング企業が何をしているのかにについてとても関心を持っているようだった。私の説明がうまくなかったようで、毎回同じことを聞かれていた気がする。

父は病気になる前、常日頃から私たちに自分の寿命は65歳だと断言していた。しかし、病気をしてバイパス手術で生死の境を彷徨(サマヨ)い、帰還して以来、生きることへの執着心が芽生えて、最後の最後まで自分は元気になると信じていた。3ヶ月前にはアラスカに旅行へ行き、1ヶ月前にはRV車を購入したほどである。結局72歳と5ヶ月を生き抜いて、人生を終えた。数ヶ月前のことを考えると、この人は80歳以上生きるに違いないと思っていたが、病魔は確実に進行していたようである。

私は大阪から離れて東京にいたので、臨終の瞬間には立ち会えなかったが、その2ヶ月程前に一度病状が急激に悪化して危ない状態に陥り、1週間ほど滞在して病院で付き添う機会があった。父は懸命に生きていたので、超多忙でほとんど実家に戻っていなかった自分が病院で付き添うものなら、きっと死が近づいていることを悟るに違いなかった。関西にある大学関係の仕事があると嘘をつき、しばらく大阪に滞在し、時間を見計らって病院に通った。

実はこの時、自身の体調も最悪の状況で、いつ体を壊してもおかしくない肉体&精神状態だった。若い頃から無理をしてきたツケが回ってきていた。しかし、この大阪の滞在によって、不眠で睡眠薬に頼っていた体を休め、自分と向き合う時間を作ることができた。この危ない状態の連絡は、自分にとっての大きな救いとなった。その頃の病院のベットに座る父は、以前より少し痩せていたが、特効薬のおかげもあり普通に元気な状態に回復したように見えた。本当はかなりしんどかったのだと思うが、私の前では無様な姿を見せたくなかったのと、元気になる自分を信じて自分の体に鞭打っていたに違いない。

呼吸による体力消耗の関係でお風呂に入れないため、東京に戻る一日前に、頭と体を拭いてあげた。私は多分父が泣くところを見たことなかった。その時も涙は見せなかったが、目を閉じている姿が確実に泣いていた。それを見て泣きそうになったが、父に生きるチカラを持ってほしかったので堪えに堪えた。そして、病室を出るときに「明日東京に帰る前にちょっと顔出すよ」と言うと、父は「今生(コンジョウ)の別れでもないので明日は来なくていい。しっかり仕事しろ。」と返してきた。私は「わかった」としか言えなかった。もっと違うことを言わなければならなかった気がするが、今から思うとその言葉は父が私に言わせた言葉だったのである。それが、今生の別れとなった。

そして2004年12月27日、仕事納めの日の未明に枕元の携帯が鳴った。兄からだったので直ぐにわかったが、まさに凄いタイミングだった。昨日までならとても帰れない状態だったのに、ビジネスマンの予定を配慮したかのうようなタイミングに驚いた。あんなに生きたかった人が、とうとう逝ってしまった。いったいどこに行ってしまったのだろうか?「死んだらそれで終わり。何も残らない。」と言っていた父は本当に消えてしまうのか。でも、あの涙を流さずに泣いて目を閉じている父の姿はその時も私の心の中で生き続けていた。

そして、お葬式の日、とうとうお別れの時が近づいていた。教会が哀しみの聖歌に包まれる中で奇跡?が起きた。兄の脚と脚の間から、一羽のムクドリが現れ、式壇の上にある聖者の像の上に留まった。じっとこちらを見つめている。扉も戸も締め切られている12月末の寒い日にどこからどのようにして表われたのか?その時、家族全員が思っていた。「父は生きている」と。それはムクドリに変身したという意味ではない。私たちの心の中で確実に生きていると確信した瞬間だった。

火葬後に葬儀屋さんが私たちのところに近づいてきて、ビニール袋に入れられたムクドリを手渡された時には本当に驚いた。式後に捕獲され、葬儀屋さんが私たちのために持ってきてくれたのだった。私たちは、ムクドリを受け取り、急ぎ鳥かごを購入して、家に戻った。家でムクドリについて調べてみると鳥かごで飼うことはできないと書いてあった。しかし、とても落ちついた様子で、1日だけでも一緒にいたいとの思いがあり、一晩だけ玄関に鳥かごを置いて過ごした。そして次の日、庭の日当たりのよいところにかごを移して様子を見ていた。わずか15分ぐらい目を離したところ、かごの底が抜けた状態で鳥かごから脱出し、空高く飛んでいった。その時、家族はまた同じことを思った。「父は生きている」と。

あれから5年の月日が流れ、またこの日を迎えることができた。この5年間、父は私の心の中で生き続けている。うれしいことも、楽しいことも、苦しいことも、悲しいことも、全てを共有できる父が心の中で生き続けている。時には勇気付けてくれる存在であり、時には慰めてくれる存在であり、時には要らぬ存在であり(笑)、時には相変わらず恐い存在であり、いつでも、どこでも一緒に生きている感じがする。たまに、「天国で見守ってくれている」という言葉を聞くが、これまでこの類の言葉は自分にとって現実的な話ではなかった。しかし、今の自分の心境を言葉にすると、「心の中で一緒に生きている」としか言い方が見つからない。

また、もう一つあの日以来進歩したことがある。それは父だけではなく、母も、兄も、妹も、そして何よりも妻も心の中で生きている感じがするのである。その実在とは別に、離れて一緒にいなくても、自分に勇気や慰めを与えてくれる存在として心の中で生きている感覚を持てるようになった。みなさんも、遠く離れている人もいると思うがどうか家族の存在を忘れないでほしい。ご家族はみなさんに知名度が高く、良い会社に入って立派な社会人になり、幸せな家庭を築いてほしいと望んでいるかもしれないが、最後の最後はみなさんの幸せだけを願っている。あなたの喜びや楽しさは友人とも共有できるかもしれないが、本当の幸せや痛みを共有できるのは家族なのである。

そして、私はこの数年間は大学で多くの学生との出会いがあり、学生さんから多くのことを学ばせてもらうことで、その人たちもまた私の心の中で生きている。最近では、このブログを積極的に更新する中で、ブログの読者の方にも励まされることで、心の中でその息吹が聞こえるようになってきた。みなさんにとっても、私のコトバやチカラが心の中で生き、どんなときもそのコトバやチカラが勇気になり慰めになれば幸いである。

(お約束!)この記事を読んで満足された方、納得された方、何らかの気づきを与えられた方は、そして、元気が出た方、勇気が出た方、笑われた方は、→ここをクリック!
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2009-12-27 23:48  nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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コメント 2

就活生です

いつもブログ拝見しております。
今回のブログは、とても心に残りました。大企業に行かれなくても、親が「それでも、この子ならどこに行っても大丈夫か」と思われるような就活をしていきたいと強く思いました。
最高の選択をするよりも、選択を最高にするために努力する、というのも悪くないのかもしれません。

これからもブログ楽しみにしております。

by 就活生です (2009-12-30 19:15) 

ネッピー

就活生さん
心に残ったようで、良かったです。しかも、文章の行間を読んで、自分なりに解釈しているところに感心しました。就活でも、常に行間を読むことで、一歩先を進めるようにしてください。いつまで続くかわかりませんが、楽しみにしていただいている気持ちは一生忘れません。ありがとうございます。
by ネッピー (2009-12-31 01:25) 

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